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首里城再建/大龍柱の向きは「向かい合わせ」VS「正面」どっち問題

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首里城3
Photo by カメラ狂いさん
ブログ主

2019年に焼失した首里城正殿。現在、再建が進んでいるんですが正殿の正面にあった大龍柱の向き、「向かい合わせ」と「正面向き」でどちらが正解かで大論争されてきていましたが、今回の再建では焼失前と同じ「向かい合わせ」で再建されるという事らしいですー。過去に向かい合わせの時代があったり、正面向きの時代があったりしているのでもめているんですけど、ボクなりの見解を書いていきたいと思いますー

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目次

首里城再建、大龍柱の向きは「向かい合わせ」VS「正面」どっち問題

首里城2
Photo by NhatBan

2019年に焼失してしまった首里城の再建。首里城正面に置かれていた対の龍をかたどった大龍柱の向きは、焼失前の「向かい合わせ」で再建することに決まったそうですー。

この対の大龍柱、1992年に完成した首里城正殿を建設する際にも「向かい合わせ」か「正面向き」かで大論争になっていて、過去の書物の絵によって向きが決まったのでしたー

画像出典: 尚家文書「百浦添御普請絵図帳」より 1846年

しかしその後、1877年に琉球を訪れた外国人の撮影した画像では正面を向いた大龍柱の写真が出てきたりしたこともあって、大龍柱の向きは「向かい合わせ」、「正面向き」、どっちが正解なんや論争が勃発したわけなんですよねー

1877年 フランスの巡洋艦に乗船していたル・ヴェルトガが撮影
画像出典:朝日新聞デジタル2020年11月15日配信号より

この画像は沖縄県が置かれる前の琉球王朝時代のもので、首里城正殿が撮影された最古の写真と言われていますー。上の尚家文書の図が1846年のものと言われているので31年もの間に大龍柱の向きが変わったという事になるんですよねー

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大龍柱の向きが変わったタイミングは焼失後の再建の時しかないと思っていますー

首里城は歴史上、2019年の焼失も含めて、過去に5回も焼失しているんですよ。ちょっと多すぎですよね。首里城は過去に5つの首里城があったという事になりますー

首里城初代 13世紀末~14世紀頃創建 

1453年焼失

首里城2代目

1660年焼失

首里城3代目

1709年焼失

首里城4代目

1945年焼失

首里城5代目

2019年焼失

これ、おかしいですよねー。1846年の尚家文書と1877年のル・ヴェルトガの写真の間に首里城の焼失があると思ったんですが、そういう事でもなかったんですよ。これは論争勃発してしかり、って感じですー。写真は動かざる証拠なので1709年の焼失以降に再建された4代目の首里城の大龍柱は正面向きだったという事になりますー

尚家文書の向かい合わせの大龍柱は3代目以前の首里城の時と推測されますー。
ボクの考えではこの大龍柱は首里城の守護神的なシンボルだったと思うので、首里城が焼失した時に龍が首里城を守れなかったと解釈して、大龍柱の向きを変えたんじゃないかと思うんですよねー。中国は風水で建物を建築するので、この大龍柱の向きは重要だったと思います。過去に大龍柱を「向かい合わせ」にしたり、「正面向き」にしたり、あっちこっち動かしてみたものものの、首里城は何度も火災で焼失してきているんですよ。首里城は大龍柱がどちらに向いていようが、結局は焼失してしまう運命なんじゃないかと思うんですよねー。ボクの考えではもはや大龍柱の向きに正解は無いと思っていますー

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大龍柱の向きをどうこう考えるよりも。。。まとめ

もし、琉球王朝が21世紀の現代まで続いていたとして、現在も琉球国の王様が沖縄の地を治めているとしたら、

王様は城を別の場所に移すと思うんですよねー

これだけ繰り返し火災が起きているこの場所は城を築くのには向いていないって考えるのが普通だと思うんですよー。それなのに、現在同じ場所に、また同じものを再建しようとしていますー。ボク的には前回の首里城の焼失の原因をうやむやにして、誰一人責任を取っていないことがとても受け入れられず、首里城の再建には反対している立場なんですが、それを脇に置いておいたとしても、これから再建される6代目の首里城、大丈夫かなーってちょっと心配しているんですよね。

6代目の首里城の大龍柱の向きは、尚家文書の図を根拠として「向かい合わせ」で再建すると決まりました。写真に残っているような正面向きにした根拠がみつかれば、検討の余地はある、としていますー。

昔、建築の設計の仕事をしていたボクの建物のデザイン感覚で想像すると、初代の首里城の大龍柱は、正面向きだったんじゃないかと思うんですよ。首里城を取り囲むように2体の龍が首里城正殿を守っているとすると、大龍柱の背後に連続する階段の手すり、欄干は龍の背にあたるという解釈になるので、大龍柱は正面向きになると考えるのが自然やと思うんですけどねー

2019年の首里城の火災は、1晩で正殿が全焼しましたからねー。首里城の敷地自体が消防車を寄せ付けない設えになっているのも問題やと思いますー。建築物の忠実な再現よりも、また首里城が燃えたとき、どう消火するのかを一番に考えて、再建すべきなんですけどねー。。。その辺どうなっているのかあんまり伝わってこないんですよー。まーボクみたいな力のない一県民は見守るしかないですけどね。

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